読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょゆき(仮)’s blog

ショッピングセンターとデジマについて

前の前の会社の話【後半】

【前半再掲】

僕は社会人になってショッピングセンターと①デベロッパー②クライアント③当事者の3つの目線で関わってきました。 その振り返りが今後のオムニチャネル展開のヒントにもなるのではないかと、思い出しながら振り返ってみます。

 

株式会社ブルーグラスの話 【2002年4月~2005年8月】

ブルーグラスは、イオングループの婦人服・服飾雑貨の小売業を行っている会社です。※現在は合併に伴い㈱コックスに社名変更。 ブランドは10ぐらい持っていましたが、僕が配属されたブルーグラスはこんな感じ↓

f:id:you19800330:20161201022914j:plain

ブルーグラスに入社した理由は「入社半年で店長を任せられ早いキャリアアップが見込める」という点。大学時代に洋服屋で3年間アルバイトをしていた事もあり、一刻も早く自分でお店を運営したいと考えていました。

 

 

【後半】

同期の退職

愛川店・八王子高倉店の兼任店長となり半年が過ぎた時に同期で旅行に行く事になりました。その旅行が自分の仕事の仕方を変える大きな転機となりました。

 

その旅行の際に同期から会社を退職したと告白されました。その同期は自分と同じく大学時代に体育会の部活に所属していたり、同じブランドへの配属になったこともあり、一番のライバルだと思っていました。

 

彼の退職は極めて前向きで自分をさらに成長させるためという理由だったことにも強いショックを受けました。(僕は店長業務が本当に毎日大変だと感じていたので)

「今の仕事を本当に心から大変と感じているか?」

「仕事になれてしまってないか?」

「周りの雰囲気に流されてないか?」

「お前にはそうなってほしくない」

的な事を言われたと思いますが、自分がライバル視していた彼の店長としての取り組みはそう言っても言い過ぎではないもので(少なくとも当時の僕はそう感じました)、彼との圧倒的な意識と力の差を痛感しました。

 

その出来事を機に休みの日は色んな店に足を運び、気になった売場はノートにメモを取り、自分の店で試すようになりました。

そのようなことを自分の店で実践していくなかで、1つのSC内に様々なテイストのテナントが共存する地方の政令指定都市の店で働きたい気持ちが高まってきました。(自己申告書には仙台のSCに異動希望を出していました)

 

そのような想いがどう解釈されたのか分かりませんが、2003年10月に秦野店に異動となりました。秦野は新宿から急行でも80分近くかかる場所で今考えると「あいつはきっと地方で働きたいのだろう」と思われた可能性が高いです 笑

 

 

ブルーグラス秦野店 店長 【2003年10月~2004年7月】

秦野店はデベロッパーがイオン(当時はジャスコ)で、近隣にはイトーヨーカドーもありましたが、周辺エリアのイオンカード世帯保有率が8割と圧倒的にイオンが一人勝ちしているエリアでした。ブルーグラス内での売上規模としては上の下ぐらいで売れ筋商品は初回には入荷するものの追加入荷の獲得は難しい店舗でした。

また、エリア内のSCの中では圧倒的な集客力がある反面、専門店ゾーンに対する販促施策はほとんどなく、自力で集客しようにも前店舗で実施したような館内放送を使ったタイムセールなどもできない環境でした。

 

そのような環境だったので、とにかく店前通行者に少しでもお店に入って頂くためにはどうすればよいかと試行錯誤を繰り返しました。

 

まずは、一日中、店前を通行するお客様を観察し続けました。

全く店の方を見ずに通り過ぎるお客様はほぼノーチャンスなので、注視したのは店の方に目を向けているにも関わらず、通り過ぎてしまったお客様です。

そのようなお客様を観察し続けると二つの傾向があることに気がつきました。

①値札に視線が動いていくお客様

②ディスプレイなどの商品に視線が動いていくお客様

①の方は主にセールの赤POPで目線が止まるので価格志向型の方だと分かり、主に午前中から午後の早い時間にいらっしゃる傾向がありました。②の方についてはトレンド重視のお客様で夕方以降のお客様に多い傾向でした。

 

①のお客様向けには、セール品を売場の一角に分かりやすくまとめて集積し、売場全体が安っぽく見えすぎないようにかつセール品の存在を認知できるように配慮しました。また、①のお客様が多く見える時間帯についてはお得感を感じさせるPOP展開を注意しました。

またセール期間中はチャレンジングな取り組みをいくつか実施しました。

・セール期間中にサークル什器をリースラインからどの程度出したら怒られるかを検証し、リースラインから完全に出した時点でデベロッパーの方に怒られました。(地方のSCに行くとリースライン前出し陳列が見られる所もありますが、今の時代に都内近郊でこれをやると間違いなくマイナスブランディングになると思います)

・タイガースが優勝した時には、自宅で黄色と黒のPOPを作成し、売場で展開しましたが、視認性がめちゃくちゃ高い反面、かなり品がない売場になってしまったため、すぐにPOPを下げました。

 

ただお店としては②のお客様の方がより獲得したい方なので、②の方向けにはいかに商品に目を止めて頂き、奥にお客様を引き込むかに注力しました。

・ディスプレイを奥と手前交互に配置し、視線の奥行きを出すことで歩留まりを上げる。

・売れ筋商品を奥のディスプレイや壁面にフェイスアウト展開し、奥にお客様を引き込む。

・曜日や時間の傾向に合わせてディスプレイを変更する。

・部門ごとに人気ランキングのPOPを作成する。

・壁面の棚の高さを若干変えて、高さが変わる部分はフェイスアウトにする。

・お客様を奥に引き込むという視点でハンガーの向きを柔軟に変更する。

・売れ筋の補充が難しい店舗なので、平日は定番商品や準売れ筋商品をコーディネートで売ることを意識し、休日は売れ筋商品の視認性をあげてセルフで売る。

 

それぞれ取り組みについては、意図をスタッフと共有しながら実施し、徐々にお客様を捉える手応えを掴んでいきました。

 

 

店舗開発部 建設課 【2004年8月~2005年8月】

秦野店での勤務も一年近くが経過した時に、店舗開発部 建設課の社内公募の案内がありました。入社してからバイヤーになりたいと考えてはいましたが、秦野店の店長経験や休日の店舗視察の中で、出来上がる前のお店に関わりたいと漠然と感じ始めていたこともあり、社内公募への応募を決めました。

 

社内選考は、上司はもとより事業部にも完全に機密として取り扱われ、人事部とのやり取りで進められました。(ブルーグラスは発令前の人事情報は全く漏れてきません)

書類選考の後、役員面接を得て、2004年8月に店舗開発部 建設課への配属が決定しました。

この時は、わずか一年後に自分が会社を退職するとは想像もしていませんでした。

 

店舗開発部は、SCとの出店交渉を行う店舗開発課と、店舗の新店・改装・退店などの際の内装管理を行う建設課の2つからなる組織でした。

建設課は、当時、年間各15~20件の新店、改装、退店の内装管理と600店舗あるお店のメンテナンス(軽微な不具合の修繕)を3名で行っていました。

 

前任者(寿退社)は大学で建築を学んでいましたが、僕はCADの操作はおろか図面を見るのも始めてだったので、わずか1ヵ月の引き継ぎ期間では、業務の習得は全くできませんでした。

 

2ヵ月目になり、前任者も退職し自分で仕事を回すようになると、さらに仕事は上手くいかず、焦れば焦るほど空回りする毎日でした。竣工日までの工程管理や今まで動かしたことのない額のお金の管理、不具合の早期修繕を望む店舗の声など様々なプレッシャーに押しつぶされ、建設課に配属されて、わずか2ヵ月で抑うつ状態となり、会社を休職することとなりました。

 

今考えると上司もいきなり素人の僕に大きな期待はしていなかったと思いますが、当時の僕は自ら手を挙げて配属してもらったこともあり、自分で自分にプレッシャーをかけていた部分も大きいと思います。

 

2週間の休職後に職場復帰を果たしますが、そもそも業務量と要員があっていないこともあり、全員忙しすぎて分からないことを内部で聞くこともままならない状態は大きく変わりませんでした。(これは人の問題ではなく、組織の構造上の問題)

分からないことを社内で解決することを諦め、取引先に質問するなど騙し騙し仕事を続けてきましたが、建設課に配属されて1年になろうとした時に、いきなり手の震えが止まらなくなりました。

 

「もうダメだ」と直感的に感じ、退職を申し出てその約20日後に退職をすることとなりました。

 

当時、上司や家族には大変な迷惑をかけてしまったと思っていますが、今考えても、当時の自分のスキルで状況を打開する術を思いつきません。

思いつきませんが、当時の教訓として今も意識しているのは「本当にダメになる前に、できないと声を発する勇気」や「自分の限界は自分でも気づかないのだから、周りはもっと気づくのが難しい」ということです。当時はできないといった瞬間に「あいつはダメだ」というレッテルを貼られてしまうのではないかという恐怖や不安でそのような言葉は口にせず、気づいたら限界を踏み超えていました。SOSの出し方を知っていれば、あそこまで多くの人に迷惑をかけることはなかったと思います。

 

あとは、人の心を破壊するのは業務の量ではなく、自分だけが社会の中で取り残されてしまっているような孤独感や無力感だと僕は思います。僕の場合は本社配属当時は本社で最年少でしたし、上司も年齢が15も上だったので同じレベルで悩みを分かち合える仲間が周りにいませんでした。同期の仲間と自分の環境があまりにも違いすぎることもあり、解決策の糸口も見えないまま悩みを溜め込んでいったのだと思います。

 

 

当時、あれだけご迷惑をお掛けしたにも関わらず、退職後に忘年会へ呼んで頂いたり、今でも情報交換をさせて頂いている方がいたりと、僕は本当にいつも人に恵まれていると思います。

 

 

ということで、新卒入社から3年4ヵ月でニート生活へ突入することとなりました。